戦いか服従か? サン=テグジュペリ

『「われわれは服従すべきでしょうか?」
 「生きながらえるためには服従すべきであり、存在し続けるためには戦うべきである」サン=テグジュペリ【サン=テグジュペリの言葉 彌生書房】』

人生には、服従していた方が身の安全を確保できる時があります。

それでも、自分のいのちの危険を感じたなら、戦う局面を選択せざるを得ない時が来ますね。

その狭間に人間は立たされていると考えています。

サン=テグジュペリは、パイロットの経験を活かして、小説家として活躍をしていました。

しかし、その最後は、自ら志願した写真偵察飛行中に消息不明となりました。人生はどこでどうなるかはわかりません。

「自ら志願して」と言うところが、彼が命をかけて決断したという風に受け取れば、幾分かは気持ちが軽くなります。

サン=テグジュペリは、人生の中で、戦う意義を見出し、その方向に舵を切ったのですね。

彼の数々のフレーズは、飛行機の操縦席からの視点だからなのでしょうか、ロマンを感じたり、読者を違う視点へと誘ってくれるように感じます。

さあ、自分の人生での決断は、「服従」でしょうか? それとも、「戦い」なのでしょうか?

アントワーヌ・マリー・ジャン=バティスト・ロジェ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine Marie Jean-Baptiste Roger, de Saint-Exupéry、1900年6月29日 – 1944年7月31日)は、フランスの小説家、飛行家。郵便輸送のためのパイロットとして、欧州-南米間の飛行航路開拓などにも携わった。読者からはSaint-Exupéryを略したSaint-Exから「サンテックス」の愛称で親しまれる[1]。
リヨン生まれ。飛行家としての経験を素材に、豊かな想像力と人間の本質を見極める観察眼で、詩情豊かな名作を世に出した。なかでも『星の王子さま』は世界中で長く愛読されている。ほかに『南方郵便機』『夜間飛行』、エッセイ集『人間の土地』など。(中略)
…動員解除でフランス本土へ戻った後、アメリカへ亡命。1940年12月21日リスボン出航。12月31日ニューヨーク着。サン=テグジュペリが最後に搭乗したF-5Aのマーキング
亡命先のニューヨークから、自由フランス空軍(自由フランス軍の航空部隊)へ志願、再度の実戦勤務で北アフリカ戦線へ赴き、1943年6月に原隊であるII/33部隊(偵察飛行隊)に着任する。新鋭機に対する訓練期間を経て実戦配置されたが、その直後に着陸失敗による機体破損事故を起こし、1943年8月に飛行禁止処分(事実上の除隊処分)を受けてしまう[注釈 1]。必死の尽力により復帰を果たすと、爆撃機副操縦士としての着任命令(I/22部隊)を無視し、1944年5月、サルデーニャ島アルゲーロ基地に進出していたII/33部隊に戻った。部隊は後にコルシカ島に進出。7月31日、フランス内陸部グルノーブル、シャンベリー、アヌシーの写真偵察のため、ロッキードF-5A(P-38の偵察型)を駆ってボルゴ飛行場(戦後、民間移管されバスティア・ポレッタ国際空港(英語版))から単機で出撃後帰還せず、消息不明となる。

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Posted by dblacks