未来は誰のモノ? モンゴメリ

『私の前には、これから出会い、学びゆく広大な世界が広がっているのだ。
 そう気づいた時、私は歓喜に震えた。
 未来は私のものだ。 モンゴメリ【赤毛のアン 新潮社】』

赤毛のアンの中に出てくるフレーズです。

何度も映画化され、40カ国語に翻訳されて、世界中にファンをつくった作品です。

モンゴメリの生地、プリンス・エドワード島を尋ねる日本人も多いそうです。

モンゴメリは、うつ病の夫をその病名を隠したまま看護し続けたという経験を持っています。献身的な看護にも関わらず、夫の病状は快癒することはありませんでした。

また、心労が重なってモンゴメリ本人も神経を病んだという辛い人生の一面があります。

その様な経歴を聞くと、このフレーズから光明が差してくるように感じます。

それは、未来への希望です。

それに、気づいた瞬間を余すことなく語っているように感じられます。

モンゴメリの人生に、保守的な男性陣からの抑圧だったり、今で言うところのヤングケアラー的な立場に追いやられたりなどという体験があったので、このような発想に行き着いたのだろうと推察します。

人間は、どのような環境に生まれ育っても、何かを背負って、不自由を味わっているものなのだろうと思わされます。

でも、それらの重石が、希望を何倍にもしてくれることも、多くの人の人生を見聞きすることによって理解できていきます。

平たんな人生を熱望するよりも、デコボコな人生が与えてくれるプレッシャーをうまく活用したいですね。

「未来は私のもの」という自分の希望に生きていきたいと考えています。

ルーシー・モード・モンゴメリ(Lucy Maud Montgomery、1874年11月30日 – 1942年4月24日)は、カナダの小説家である。『赤毛のアン』の作者であり、本作を第一作とする連作シリーズ「アン・ブックス」で良く知られている。国際的に親しまれる英系カナダ文学の草分け的人物であり、日本で訳書が出版された最初のカナダ文学者でもある[1][2]。(中略)
ユーアンは学生時代に患ったうつ病が結婚後8年目に再発、生涯快癒する事はなかった。モンゴメリは世間に夫の病名を隠して看護を続けたが、晩年は家庭内外の問題で心労が重なり、モンゴメリ自身も神経を病んだという[12]。(中略)
1908年の『赤毛のアン』の成功の後、1909年の第2作『アンの青春』など、『赤毛のアン』シリーズ(アン・ブックス)を含め生涯に20冊の小説と短編集を書いた。特に『赤毛のアン』は何度も映画化され、40か国語に翻訳されるなどの成功を収めた。
『赤毛のアン』は日本では、1952年に村岡花子により翻訳・紹介され、主に少女たちの間で熱狂的に愛読された。のちに、中学の国語の教科書に収録され、1979年に世界名作劇場シリーズでテレビアニメ『赤毛のアン』として放送された。モンゴメリの生地、プリンス・エドワード島を訪れる日本人観光客は多い。

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Posted by dblacks