報いか煩いか? 箴言11:17
『17 誠実な人は自分のたましいに報いを得るが、残忍な者は自分の身にわざわいをもたらす。 箴言11:17新改訳2017』
「報い」は欲しいけれど、「煩い」はいらないというのが正直なところです。
「報い」は、褒美は魅力的だけれど、罰であればイヤと言うのが人情というモノです。
それらをもたらすのは、そもそも何なのでしょうか?
それは、行動というよりも、動機の要素なのですね。
「残忍な者」というとイメージがしやすいですが、それは、粗暴な振る舞いだけではなく、無関心な状態をも含んでいると私は考えています。
相手に対して、何もできなくても、愛に根ざして、労る態度や言葉をかけるという事さえ面倒くさくなっていたら、どうしてかを自問することも必要になってくるかも知れません。
「自分だけ」を考える自分勝手という動機や自分のプライドが傷ついたという動機での嫉妬心です。
さらに、相手の痛みを考えない振る舞いです。
そもそも、自分の状態を良くしたいならば、考え方を変えないと方向転換は困難です。
もちろん、自分自身の自立や確立は大切なのですが、それは、自分勝手とは相容れない領域だからです。
自分だけ利益を独り占めしようと考える人はいますが、やがて、孤立してしまうことでしょう。それは、歴史が物語っています。
それが、「自分の身にわざわいをもたらす。」という部分に記されています。
聖書の箴言の概念で説明すると、「誠実な人」というのは、創造主である神【主】の愛と真実をわきまえた人を意味しています。
それを外せば、自分勝手な振る舞いをしない人と言った方が分かりやすいでしょう。
しかし、「創造主である神【主】の愛と真実をわきまえた人」は、平安のありかを知っています。
そして、自分の財産が増えた減ったと大騒ぎする必要がないのです。
これは、心に充足感と平安を味わい、真実の確信が宿り、落ち着いたコンディションを維持することができます。
一方、「自分だけ」の状態で、もがいている人は、この逆で不安だらけ、心に煩いが溢れかえっている状態です。
これでは、自分が進む方向性も定まりませんよね。
映画「カサンドラクロス」のように、「壊れた橋にまっしぐら」と言うことになりかねません。
これに気づいて、転身ができる人は実に幸せな人なのですね。
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